昭和プロレスの楽しみ方の一つに、『何故?』の連発が存在する。
『何故、あの時、あえて技を受けたのだろう?』
プロレスの醍醐味は、相手の技を受ける事にあるのだが、昭和の終わりに差し掛かる頃、そんな方程式が崩壊しかけていた。その矢先の事。とどめを刺すような事件が起きた。
レスラー自ら、
『何故ロープに飛ぶ必要があるんだ!』
『相手の技を受ける事は、阿吽の呼吸があるからだ』
『そもそもプロレスとは、本当の真剣勝負ではない』
『試合でなくショーなんだよ!』
と語り、その爆弾は落とされた。
それが一般人から出た言葉なら、マニア達は笑ってやり過ごした。
『また、始まったよ、プロレスが何なのかさえ、何一つ知らない奴が吠えている』と。
しかし、先の言葉はレスラーが書いた本に記されていたのだ。
今でも、その混乱を覚えている。場所は藤沢、今は無き西武(PARCO?)の本屋での昼下がり。
ふと手にしたムック本には、そんな類いの話が、これでとか?と、書き連ねられていた。
『えっ、』でもなく、
『嘘だろ』でもないのだ。
ただただ、自分が壊れていった。
言葉もないとはこの事だ。
昭和プロレス、アントニオ猪木には、圧倒的な力があった。プロレス村を飛び越え、世間のど真ん中にまでその熱量を突き刺す力が。
そのアントニオ猪木が、弟子である佐山聡(初代、タイガーマスク)によって、秘密の暴露を受けたのだ。
それは僕にとって人間の崩壊、頼りなくも猪口才な価値観は撃滅された。
へたり込み、膝をつく事は何とか防げたが、腰が抜けたかのように、人生の敗北を背負わされた。
たったそれだけの事で?
と、言いたくもなるだろう!
それって時代性だよ。
10代だから幼かったね。
などの言葉ではないのだ。
当時、全ての男子は、何らかの影響を受けたと言っても良いであろう位、アントニオ猪木は、とてつもない求心力と、遠心力を放ち続け、煌めいてた。
だからこそ、もうアントニオ猪木は完全に終わった。
と、マニアの誰もが思ったものだ。
いったい、この佐山の言葉に師は、どんな言葉を被せるというのだろう。いつもいつも、一緒にいた弟子の謀反なのだから、全く出たら目な筈がないのだ。
しかし、マニアしか読まない『週刊ファイト』という新聞の中で、アントニオ猪木は動じていなかった。全く。
『あいつも可愛そうな奴でね。プロレスの凄みが結局の所、わからないまま辞めてしまって、勿体なかったねよ。』と佐山を慰めるかのような物言いである。
言葉曖昧だが、確かな事は、アントニオ猪木はブレる事なく、アントニオ猪木のままであったのだ。こちらが拍子抜けをする程に。
負け惜しみにも聞こえるが、何処か本気の発言にも聞こえるから不思議であった。
ますます、『何故』を追いかけた。
そう、アントニオ猪木には予定不調和が似合うのだ。
それは、まるで人生の一翼を担う足かせでもあり、不条理を祝う祝詞の如く、果てしなくイカレながら、尚、眩しさを解き放すアントニオ猪木。破綻という名の十字架が恐ろしく似合うのだ。
(続く)