
その昔、古本屋でめまいの治し方という本を購入した事があります。
僕が医療とは全く違う世界にいた頃の話です。
そこにはこんな風に描かれていました。
”ここを押せば良くなる”
”ここをほぐしさえすれば、あっという間にめまいが無くなる”
”その耳鳴りもすぐ消える”
沢山のキレイな言葉が綴られ、ツボやサプリメントが紹介され、めまいで悩む方にとっては、未来への希望が繋がる、辛い昨日とサヨナラが出来るのでは?そんな内容の物です。
その古本には、所々にマーカーが引かれ、書き残したメモのような物がありました。
めまいで悩んでいる方が、同じ思いで読み漁りながら、必死の思いで何かを書かれた事も容易に想像がつきます。
果たしてその方のめまいは良くなったのだろうか?
残念ながら、その内容でぼくのめまいが改善される事はありませんでしたが、今思えば理解出来る事が幾つかあります。書かれた著者は恐らく、そこまでの内容を謳ってはおらず、編集者から本を売る為のビジネスラインとして最低限の表現法から、訂正、赤字入れが重なってしまい、気がついたら本来意図するものから遠ざかってしまったのだろうと、、、
紹介されたツボなどは、間違ってなかったのでしょう、但し、それがめまい患者万人に当てはまる訳ではないのです。
僕でさえ、今日はココ、以前はこっち、という様に楽になる場所、ツボ変化していきます。めまい専用の統一規格やフォーマット、パターン治療などは、他のどんな疾患で当てはまりません。毎回、すべて違うのです。
つまり、人の身体に正解はないが、僕の信条です。
このような経験から生まれた信条だからこそ、鍼灸師、イントラの立ち位置にあっても、目線はいつも辛い思いを抱えている患者サイドにあります
あの時、引かれていたマーカーの赤は時間の中でぼやけた赤になっていましたが、僕の中では未だ鮮明に赤なのです。
このモヤモヤは、治療家やイントラサイドは常に抱えて行かなくてならない命題であり宿命かと思います。受け手と呼ばれる患者やお客様は、藁をも縋る思いでそこにたどり着いたのですから。
人として当たり前の優しさをなくし、
建前だけの美辞麗句を並べて立てるようになったのならば、僕らは看板を下ろすべきなのです。